年の差カップル。
他人事なら、いいかも、と思うが、自分のことなら No thank you.
自分が年下ならよいが、自分が年上なら、絶対に嫌。
同じ世代ぐらいが、一番無消化系統難。

年齢のことでコンプレックスを持つのが嫌だからだ。
自分は自分で、年齢なんか関係ない・・・だろうが、年齢も自分を形成する重要なコンテンツ。
年をごまかして、なんて、ありえない。
なんていいながら、若く見られると誰しも喜ぶが。(かくいう、わたしも)

年齢は絶対的なものである。
実年齢、精神年齢、容姿年齢(皮膚、頭髪、歯、骨格、体形)、
脳年齢、肉体年齢(身体能力年齢、筋肉、内臓・骨年齢、目、耳)、
見かけ年齢(物腰、しぐさ、動作、対応、経験値)・・・

そのうち、容姿年齢と、見腦部發展かけ年齢は、かぶっているところがある。
例えば、皮膚や、歯、頭髪。
肉体年齢ともリンクする。
どれもこれも、相互につながっている。

個体差、個人差は、著しい。
同じ年齢の人でも、いろいろだ。
また、同じ人であっても、どれかの部門が、飛びぬけて著しく若い、あるいは、老いている場合がある。


いくら本人が努力しても、年齢には勝てない。
アンチエイジングしても、限界がある。
このことは、老いをマイナスにとらえたくない、負けん気の強い人々にとっては、辛い。
前にも書いたが、開き直りするしかない。

自分の老いは、開き直りで、どうにか「負け犬」感を一瞬、払拭したような気になるが、
一夜明けると、また同じ。
くよくよと負け犬になっている。

それは、どういうことかというと・・・
世の中の老いた素敵な人を知って、自分を納得させるのは、おおいに効果があった。
彼らは自分より年上の人だからだ。
だが、年上と比べるのではなく、現在、自分より若い人と比べた場合、どうやって心の安泰を保つ?
絶対的な年齢の差は、どうしようもない。
とくに、それが、恋人の周囲にいる、若い人だったりすると、切ないだろう・・・なあ・・・。(空想)
いつまでたっても、特定の年下の人は、何年たっても自分より、常に若い。


わたしは、ヤキモチは、焼くより焼かれるほうがいい。
絶対的な、どうしようもないこと(自消化系統分の年齢)で、自分を卑下し続けなければならないなんて、割に合わない。
なので、年下のお相手は、嫌なのだ。

それは、わたしが、若さに執着しているからだ。
とくに、「女性であること」に、執着している。みっともないほどに。
そもそも、わたしは、どんなにキレイ事を言おうが、肉体がすべてだと思っている。
精神が崇高であろうが、魂が美しかろうが、知性と教養があふれようが、聖母のように慈悲深かろうが、
究極のところ、女性は肉体で勝負できないと、ぜんぜんダメだって、思っている。
絶対不可欠要素と捉えている。
(肉体以外、なにもないような・・・そういうのも、ダメだけど)


肉体で勝負できない年齢に突入すると、わたしの美学が、崩れる。
そういう場合は、去る。
人知れず、舞台から去る。
さ、さ、さ、さ~。(誰も気付かない、気付いてもらえない、・・・う、つらい)
そして、新しい美学を打ち立てる。
だって、しょうがないも~ん。